チョソンジンのオールラヴェル
- みねりら
- 2024年6月13日
- 読了時間: 7分
こんにちは。みねりらです。
先週よりぐっと気温が上がったと感じる日々ですがいかがお過ごしでしょうか。
ブログを週1更新にしたいなと目論んでいるこの頃です。続けられるように頑張ります。
今週は、チョ・ソンジンのリサイタルに足を運んだのでそのことについてお話したいと思います。
私がここ近年で演奏した曲は
リストのロ短調ソナタ、シューベルトのさすらい人、ドビュッシーの映像第1集にベルガマスク組曲etc...なのですが、思い返すといつも彼の演奏を聴いていました。
ショパンのピアノコンチェルトも、ツィメルマンとソンジンのものをずっと聴いていて、ピアノコンチェルトなんかは、同じくソンジンの録音が好きだという友人に「好きだと思った!」と悟られるくらいには、知らず知らずのうちに自身の演奏にも影響を受けていたようです。
そんなわけで、「私、もしかして思っている以上に彼のこと好きなのかも…?」と初恋を自覚したかのような神妙な顔で会場に向かった私。プログラムはオールラヴェル。
他の公演のプログラムを見て、リストとかも聴きたかったな〜なんて思いながらお客さんで埋め尽くされた会場に腰を下ろしたのが19時前。
「オールラヴェルなんて、彼にしかできないんじゃないか?なんて幸せで贅沢な時間だったんだろう」と興奮冷めやらぬまま同行した友人と会場を出たのが21時半前。
あっという間のようで長いような、なんとも不思議な時間でした。本当に素晴らしく感動が大きかったので、言葉にして残しておきたいと思い今回の記事を書きます。
*好き勝手に書いています。個人の感想ですし、何様だというご意見もあるかもしれませんがご了承ください。
舞台照明に切り替わった後、颯爽とステージに現れた彼は、思っていたよりスラっとしていてプレーンでスマートな印象でした。とても自然に始まったラヴェルの世界の幕開けを飾ったのは「グロテスクなセレナード」。冒頭のスタッカートのパッセージはとてもクリアで洗練された音で…。
私たちの期待の拍手が鳴り止んでから彼が音を紡ぐまでが一瞬に感じられたせいもあって、いつの間にか夢の中にいた、みたいなそんな感覚でした。
そもそも私が好んでいた彼の演奏の魅力は、多彩な質感の音・ずっと身を委ねていたくなる流れのある音楽・ハッとする音色の変化を奏でるところ…などにあるのですが、2曲目に続く「古風なメヌエット」も大規模な作品ではないからこそ、それらを存分に感じられたように思えます。
そして驚いたのが、曲間をほぼ空けずにノンストップでソナチネまで演奏しきったこと。五感全てを惹きつけて離さないかの如く、客席みんな釘付けだったと思います。息つく間もなく素晴らしい音楽に浸り続けた20分間でした。
彼は普段からこんな感じで演奏するのでしょうか?緻密に練られた計画のもとに全てのパフォーマンスが行われているようで、またそれを遂行しきる集中力は見事としか形容のしようがなく、ため息が漏れてしまうほどです。
個人的にプログラム前半のハイライトは「ソナチネ」の第1楽章。何回も繰り返される「A-E-E」の響きの美しさが耳にこびりついて離れません。というか離したくない。あんなシンプルなフレーズでこんなに感動できるんだ、って今でも少し信じられないほど美しかったんです。陳腐な表現だけど、神様みたいに思えるくらい。
「道化師の朝の歌」は、コンクールや演奏会でもよく耳にする曲ですが、あまりの素晴らしさに"こんな「道化師の朝の歌」聴いたことないよ…"と休憩中も友人と半ば困惑してしまいました。彼の演奏が精巧で緻密なテクニックのもとに展開されていることなど百も承知でしたが、生で聴くその凄さは録音されたものじゃ到底味わえない衝撃。どこを切り取っても美しい音色、いっさい乱れることのない舞踊のリズム、パッセージの難しさなど無関係の音色の変化…。あのダブルグリッサンドはどうやってるんでしょうか?弾くだけでも難しい箇所をあんなに美しくどうやって違いをつけて弾くんだろう?
中間部の右手の旋律、上半身を捻るようにして響かせていたのも印象的でした。どの曲も素晴らしかったけど、華やかな締めくくりを迎える曲なこともあって思わず拍手したくなったのをぐっと堪えて前半最後の「鐘の谷」へ。
すでに盛りだくさんの文章なので後半はなるべく簡潔に書きたいと思います。
後半1曲目の「夜のガスパール」はその演奏が素晴らしいのは大前提として、これをセクションの頭に持ってくるのね…と聴く前も聴いた後も脱帽。「スカルボ」の後に拍手喝采が起きないってことあります?やっぱり皆さん拍手したくなったんじゃないですか!?私だけなわけないですよね?感動と興奮を抑えて彼の一挙一動に息を呑んでいたのは。
そしてその後に続いた「高雅で感傷的なワルツ」、ひたすらに美しかった。
特に高音と弱音のコントロールがピカイチだと個人的には思うので、それらを存分に味わえたのが良かったなあと。
「クープランの墓 トッカータ」で見事にオールラヴェルの本編を終えた彼に、お客さん皆が全身全霊で拍手を。沢山の人が立ち上がって、鳴り止まないばかりかどんどん大きくなる拍手の音。1番最初に立ち上がった最前列のお姉様を見て、私も「ワジョソ カムサハムニダ…!!!(来てくれてありがとう)」と大きな声で叫びたくなりました。アンコールは「水の戯れ」を聴きたいな、とぼんやり思っていましたが「亡き王女のためのパヴァーヌ」も最高でした。でも水の戯れもいつか聴きたい。
やっぱり総じて印象的だったのは、その透明感溢れるクリアできめ細やかな音。幾つもの音が重なってもそれらが全て明瞭に見える立体的な響きと音運びが素晴らしかった。彼がそれぞれの曲やフレーズ、音をどのように捉えているのかが鮮麗に伝わってくるような演奏でした。
それから、あの柔らかい音・煌めく音・甘い響き・流動的なクレッシェンドディミヌエンド・掌から零れ落ちてしまいそうなくらい儚いピアニッシモ…どうやって出しているんだろう?3階席だったので、音響の良さを堪能できたのは良かったのですが、できたら今度はもっと近くで彼の息遣いとか奏法を感じたいなと思いました。近くの席の方が双眼鏡を持っていらっしゃって、何回「持ってくればよかった…!」と思ったことか。だってまさか、クラシックの演奏会で双眼鏡必要になるとは思わないじゃないですか。
あとは、これだけのプログラムを見事に弾ききるその集中力とタフさも常人離れしすぎているなあと。派手なことはなにもしていないように見えるのに(実際はとてつもないことをやっていらっしゃるわけですが)、全神経を持っていかれる感覚も気持ちよかったな。上質な音楽に身を委ねてはいるけれど、ピリッとした緊張感も共存している感じで。
何度もくどいようですが、、、
演奏中こちらも音楽に没頭しているので、瞬間瞬間に思うことや感じること、感動があってもそれらをしみじみと味わうことは公演中は不可能なんです。でもだからこそ、会場を出てからの興奮や感動がずっと冷めなくて、むしろ受け止めきれないほどのそれらが一気に全身に押し寄せてきて…。
終演後、こんなものを抱えたまま「それじゃあまた」と電車に乗って日常に戻ることなどできない、と友人と時間の許す限り語り合いました。しかも、ハイになっているのでフライドポテトとハニーバターおさつスティックとかいうなんともギルティすぎる罪な食べ物を肴に。
帰りの電車でラヴェルの作品、その他のソンジンの演奏を聴いてみたものの、あんなに感動的な体験をした後では物足りなさすぎてイヤホンを外してしまいました。これは初めての体験かもしれない…。
下世話ではありますが、普段どんなことを考えているんだろう?ピアノの他に好きな物はなんだろう?どんな風に曲に取り組むんだろう?と、彼のパーソナルな部分も知りたくなってしまいました。ドキュメンタリーとかあるんでしょうか。気になる。オタク心が出てしまう!そして、絶対次のリサイタルも行きたいし、できればショパンとドビュッシーが聴きたいです。
私はドビュッシーの「音楽は楽しませることを慎ましく求めなければならない」という言葉が大好きなのですが、彼の演奏は私にとってまさにそれだったなあと思います。
そんなわけで、想像の何倍も幸せで楽しくて素晴らしい演奏会でした。ありがとう、チョソンジン。ありがとう、ラヴェル。